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09 mars 2005

村上春樹『海辺のカフカ』

大学4年のとき、再履修のドイツ語の授業でカフカの短編を読んだ。「万里の長城が築かれたとき」という短編だ。それまでカフカは翻訳で何冊か読んでいた。それは鬱蒼とした森のような話だったとうっすら憶えている。
この本は「不思議の国のアリス」だと思った。ぼくの枯れた想像力を刺激し、それなりに覚醒させてくれた。読後の第一印象である。四国の森に展開する想像力的世界が大江健三郎の『万延元年のフットボール』を思い出させた作品でもある。大江健三郎を読んだのは二十歳のころだった。
過去と未来のはざまにいる人間、記憶と夢。ぼくが思いを馳せたのはこのようなことばたちだ。記憶にとどまり続ける人間と記憶を失った人間。一方は文字にすべてを託し、他方は文字を受け容れない。ぼくは主人公である15歳の少年より、このふたりに強く惹かれた。とりわけ記憶と文字を失ったナカタさんの動向から目が離せなかった。過去は哀しい。終わってしまったことは、どんなものであれ、哀しい。それらを記憶としてとどめて生きていくことはさらに哀しい。そして過去をいっさい捨てて生きていくこともやはり哀しい。
記憶の有無という両極のあいだに本に集中し、知識を記憶にとどめる田村カフカ、そして同じように生きてきた大島さんがいる。大島さんは想像力の欠如した人たちを痛烈に批判するが、書物からしか想像力を吸収し得なかったこの人物こそ最大の想像力欠如者であるし、田村カフカも同じ道を歩もうとしていたのかもしれない。彼がその道を断ったところでこの物語は終わる。ぼくなりの解釈ではあるが。
今日のお昼はナカタさんの大好きなウナギでも食おうかななどと思っている。
(2002.10.4)

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