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12 mai 2007

浅田次郎『月島慕情』

銀座2丁目でサラリーマンをしていた時期があり、昼時の蕎麦といえば、昭和通りを渡って、長寿庵の鴨せいろ、晴海通りを越えて、よし田のおかわりつき天せいろがメインだった。仕事場からいちばん近いのは利休庵で店内は蕎麦屋というより、往年のモダンな食堂といった味わいがあって、それはそれでよかったんだが、なにぶんここは出前をしてくれるので、時間がないとき、手が離せないときはもりとおにぎりを持ってきてもらう。そういうわけでわざわざ蕎麦屋に行くなら、少し遠くでも長寿庵、よし田となってしまうわけだ。
今年のはじめ、夕方小腹が空いたので、たまたま通りがかった利休庵でもりそばを食べた。どちらかというと好きではない更科系の白い蕎麦なのだが、やはり長年培われたうまさがある。汁も濃く、強い。
これが利休庵最後の蕎麦だったと知ったのはその後。3月で店を閉めたのだそうだ。

利休庵の程近く、かつて尾張町と呼ばれた交差点から晴海通りをまっすぐ東に向かい勝鬨橋を渡るとそこが月島だ。

浅田次郎の『月島慕情』にこんなくだりがある。

「深川から相生橋が一本じゃ、不便には不便だがね。築地へは渡しのポンポン蒸気しかないけど、近いうちに銀座の尾張町からまっつぐ延びる道に橋を架けて、ぐるりと市電も通すそうだよ。そしたらあんた、銀座も浅草もちょいの間で、東京で一等便利なとこになる」

今でこそ月島は銀座にいちばん近い下町だが、かつては東京湾の埋め立て地の中でもいちばん不便な場所だったわけだ。
まあそれはともかく、浅田次郎を読むのは『鉄道員』以来。
佐藤乙松の

「--あんたより二つも三つもちっちえ子供らが、泣きながら村を出てくのさ。そったらとき、まさか俺が泣くわけいかんべや。気張ってけや、って子供らの肩たたいて笑わんならんのが辛くってなあ。ほいでホームの端っこに立って、汽車が見えなくなってもずっと汽笛の消えるまで敬礼しとったっけ」

という台詞には泣かされたなあ。
でもこの短篇集も相当いい。どれをとっても素晴らしい大人のおとぎ話だ。

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