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21 octobre 2008

立松和平編『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』

先日、高校の同窓会があった。部活の集まりには毎年出ているが、同窓会などという同じ学校を出たというだけのぼんやりした会にはほとんど出席したことがない。今年は画家である部活の先輩が事前イベントで講演を行うということでその先輩の同期の方々から号令をかけられ、参加したのである。
ぼくもかれこれいい歳で街を歩いていれば、立派なおじさんであるにもかかわらず、会場内では下から数えてひと桁の若輩者である。こんなことでこの会は将来どうなるのだろうと不安がよぎる。
乾杯の音頭をとったのは、何代か前に同窓会長をなさっていたという御年95歳の大の上にさらに大をいくら重ねても足りないほどの大先輩。多少よろよろしながらも、壇上に上がり、しっかりした声で挨拶をする。
「誠に僭越ではございますが…」
僭越じゃない。全然僭越じゃない。

実を言うと林芙美子はまったく読んだことがない。日本文学に多少なりとも興味のあるたいていの人は『放浪記』くらいは読んでいるのだろうが。まあ、これは連鎖読みとぼくの称する本の読み方で、その前に読んだ『文豪たちの大陸横断鉄道』に影響されている。
解説で編者の立松和平も述べているとおり、昭和初期の、多少は便利な世の中になったとはいえ、旅がぜいたく品でかつ、苦行だった時代によくもよくも身ひとつでユーラシア大陸を経巡ったものだと感心する。本書所収の「文学・旅・その他」でも「私は家を建てることや蓄財は大きらいだ」と述べているが、それは彼女が如何に人生の中で旅に価値を置いていたかの証左でもあろう。
書く、旅をする、そして書く、また旅に出る。ある意味、文学者としての理想の姿を忠実に実践した作家といえる。そして「愉しく、苦しい旅の聚首(おもいで)は地下にかこっておく酒のようなもの」という描写に彼女の旅観、人生観が集約されているように思う。

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