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13 novembre 2009

なかにし礼『不滅の歌謡曲』

ぼくは眼鏡をかけている。
朝、最寄りの駅に行くと、どこかの店員とおぼしき若者がティッシュを配っている。できればもらってください、いらなければ、少しだけ意思表示してください、すぐに引っ込めますから、というすばやい身のこなしで道行く人たちにティッシュを手渡す人たちだ。
このあいだ考えごとをしていて(あるいは何も考えていなかったのか、要は今となっては何も憶えていないのだが)不意打ちをくわされたかのようにティッシュを受け取ってしまった。ふだんはよほど風邪で鼻水がすごいということでもない限り手にはしないのだが。
そのまま地下鉄に乗って、ポケットにしまったティッシュを見たら、駅近くのコンタクトレンズの店のティッシュだった。
なんでぼくなんかにティッシュをくれたんだろう。不思議に思った。ぼくはどこからどう見ても眼鏡の人だし、眼鏡をかけていればコンタクトレンズは必要ない。なんでそんなことがわからないのだろう。阿呆か、あいつは。
そんな話を娘にしたら、だから配ったんだという。コンタクトレンズの人は見た目じゃわからないけど、眼鏡の人は目がよくないってひと目でわかる。そういう人はいつかコンタクトレンズにする可能性がまったくのゼロじゃない。
なるほど、そういうことだったのか。

8~9月、NHK教育テレビで放映していた「知る楽 探求この世界」という番組で取り上げられていたテーマのテキスト。
ぼくの中では、なかにし礼は阿久悠と並ぶ昭和歌謡のヒットメーカーだと思っている。どちらかといえば阿久悠は詩情豊かなスケール感があり、なかにし礼は洋楽的な洗練を持っているというのがぼくの印象だ。
で、この番組は昭和のヒット歌謡を支えてきたひとりの作詩家としての筆者が歌謡曲の歴史を振り返りながら、ヒット曲はなぜ生まれたのか、なぜいま生まれないのかという今日的なテーマと根源的に歌の持つ不思議な力を解き明かそうという試みである。
実をいうと、小さい頃、テレビで視るなかにし礼にぼくはあまりいい印象を持たなかった。怖そうな顔をして、挑発的で、生意気そうで、子どもながらに鼻持ちならないやつだと思っていた、たいへん失礼ではあるが。大人になってその印象はガラッと変わった。高校の先輩であると知ったせいもあるかもしれない。そしてこの番組、そしてこのテキストを通じて、心底リスペクトすべき偉大な才能であることをあらためて確信した。

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