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27 mai 2010

池波正太郎『江戸の味を食べたくなって』

子どもが大きくなって、小さかった頃のことが鮮明に思い出せない。
このあいだも次女が学校に提出する宿題に自分が小さかった頃の話を親から聞いて書く、みたいな課題があって訊ねられたのだが、いくつか思い出せる話はあるにはあるが、それが長女のことか次女のことかはっきり区別がつかない。それに子どもというのはたいていどこのうちの子でも同じようなことをして育つんではないだろうかとも思う。
たとえばうちの子はトランプにしても、ジグソーパズルにしてもすごろくのコマにしてもクレヨンにしてもなんでも小分けにしてあっちこっちにしまいこんでいた。だからパズルをやるにしてもまずあっちこっちをさがしまわってピースを全部集めなくてはならない。どこかへ出かけると持っていったポーチの中から用もないピースが見つかることもある。
ひとつにまとめておかなければいけないものをばらばらに分けるのにカラー粘土のようにまぜてしまってはいけないものは容赦なくまぜる。たいてい買ったその日のうちには色とりどりのカラー粘土は真っ黒いかたまりと化す。
当時、まぜないでちゃんと色分けしてしまうんだよとなんども言っていた親がそれをしたのが長女か次女かわからなくなっている。
まあこんなことはどこのうちで同じだろうと思う。
池波正太郎は“食”関連の本しか読んでいないが、そんなにパリや南仏に出向いた方だとはつゆほども知らなかった。

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