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08 août 2010

宮脇俊三『最長片道切符の旅』

いつしか仕事場から時刻表がなくなっていた。
今、たいがいのものがネットで調べられる時代だ。時刻表を開かなくとも、どこそこへ何時着で行きたいか、なんてことはポータルサイトの“路線”で調べればいい。ただしそこには旅程をイマジネーションする楽しみはない。
ぼくが時刻表にのめり込んだのは、小学生の頃だと思う。1970年、本州から蒸気機関車がなくなった頃だ。考えてみれば地理も歴史も漢字も時刻表に学んだところが大きい。北海道の地名は特殊だとしても、その地方地方で独自の読み方をする地名をぼくは駅名から学んだ。東京からの距離感は巻頭の路線図と東京から、あるいは始発駅からのキロ数で学んだ。
3年前、南仏を訪れたときも、頼りにしたのはトーマスクックだった。時刻表というシステムは万国共通なのだ。
テレビコマーシャルの企画立案という仕事を最初に手ほどきしてくれたMさんはCMプランナーである以上にすぐれた画家だった。今でも横浜でご近所の奥様方に水彩画を教えておられる。そのMさんの座右の書であったのがこの『最長片道切符の旅』である。
宮脇俊三はもと雑誌編集者であったと聞くが、そのあたりのコミュニケーションのセンスはじゅうぶんにうかがえる。車窓から見える風景をだいじにし、しかも余計なことは書かない。あたかもいっしょに日本を縦断しているような錯覚に陥る。著者が小海線で小淵沢から小諸に向かうとき、車内放送の簡潔さを賞賛するくだりがある(賞賛は大げさかもしれないが)。事実だけを簡潔に述べ、ためになる。筆者の、この本に対する基本的な姿勢を垣間見ることができる貴重なシーンだ。
そもそも時刻表とはそういうものだ。余計なことはいくらでも付加できる。にもかかわらず、寡黙に情報を提供し、それから後のことは旅人にまかせる。この本はシステマティックに最長ルートを割り出し、ただ暇に任せて乗りつぶした人間の記録ではない。真に時刻表や鉄道という装置産業に敬意を表する人間にしか書くことできなかった稀有な旅行記である。
そういえばMさんの描く安曇野の水彩画は、まるで列車の車窓からながめる風景のようだった。

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