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06 octobre 2010

司馬遼太郎『殉死』

ツイッターで何百人もフォローしている人がいるけれど、その都度目を通していく、さらには返信したり、リツィートしたりするっていうのはなかなかたいへんだ。
でも人はそれぞれにいろんなことを考え、いろんな行動を起こし、いろんな感想を抱いているものだなあと思う。自分の嗜好にあった人ばかりでなく、さまざまなジャンルの人、キャラクターの人などなどをフォローすることである種、脳内に混沌をかたちづくり、さまざまな色の絵の具をぶちまけたみたいな状況から、新鮮なものの見方、考え方に出会う瞬間はふだん漫然と生きているだけではなかなか得がたく、心地いい経験になる。
なかにはしばらく疎遠にしていた方々を見つけてはフォローしてみると、相変わらずで何よりとも思うし、ずいぶん成長したんだなこいつとか思ったり、それはそれでまた楽しい。果たしてぼくはどう見られているんだろう(まあ今のところフォローしてくれているのがごく少数なのであまり気にもとめていないけどね)。
月に一冊は司馬遼太郎を読もうプロジェクト第二弾。
乃木希典は、ふうん、そういう人だったのか。ずっと思い描いていた人とは違うものなんだなあ。
平和な高度経済成長期に育ったぼくたちにとって乃木大将というのは、母親からの口伝えに聞く伝説的なエピソードであったり、彼を讃えた歌でイメージしていた。そういうわけでどうも軍事的才覚に長けた武勲華やかなる人物を思い描いていたのでことのほかその違和感は大きく、これがあの乃木希典のリアルなかのかと咀嚼するまで時間がかかった。ただ軍人的である以上に、古典的忠臣的な人であり、美的感覚に長じた明治時代の異物だったのだろう。もちろんいい意味で、である。

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