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20 octobre 2010

村上春樹『やがて哀しき外国語』

読んだ本の中で、あ、これおもしろいなっと思ったところをなるべく抜書きしておこうとしている。昔、論文を書く学生がB6サイズくらいの紙に抜書きしていたように(今ではワープロで打つだろうから作業的にも楽だし、検索など簡単にできるし、さぞ重宝していることだろう)。
そんな学生みたいなことをはじめて20年近くたった。たいして勤勉でもなく、そうした抜書きを何かに役立てようという具体的な目的もないので、長いこと続けているわりにはテキストファイルで200キロバイト程度のものである。ときどき思い出したように読んでみてもあっという間に読み終えることができる。まあ言ってみれば、切手やフィギュアの人形をコレクションしてときどき眺めてみる、みたいな趣味の域を出ないものには違いない。
それでも読んだものを読みっぱなしにしないで、なんらかの形で自分自身につなぎとめておくには「書く」(あるいは打つとでもいえばいいか)という行為は無駄ではないような気がしている。
たとえば今回はこんなところを抜いてみた。

>僕自身だって、二十歳の頃はやはり不安だった。いや、不安なんて
>いうようなものじゃなかった。今ここに神様が出てきて、もう一度お前
>を二十歳に戻してあげようと言ったら、たぶん僕は「ありがとうござい
>ます。でも、べつに今のままでいいです」と言って断ると思う。こう言っ
>ちゃなんだけど、あんなもの一度で沢山だ。

こういう、なにかおもしろい言い回しとか、ものの見方をさがして本を読むのも案外悪くない。それにしても村上春樹からの抜書きが圧倒的に多い。

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