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19 janvier 2011

幸田文『流れる』

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東京の昭和をふりかえる際、必ずといっていいくらい言及されるのが幸田文の『流れる』である。
この小説は成瀬巳喜男の手によって映画化され、フィルムに焼きつけられた古きよき東京の風景とともに多くの人の記憶にとどまっている。川本三郎しかり、関川夏央しかり。
多くの論者の言を待つまでもなく舞台は東京柳橋。神田川が隅田川に流れ込むあたりでJR浅草橋駅に程近い。かつては新橋とならぶ東京の花街であった。蔦屋という置屋で働きはじめた女中の目を通してみたくろうとの世界がいわば、“家政婦は見た”的なしろうと視点で語られる。
そしてこの小説はくろうと、しろうとのヴァーサスな関係意外にも置屋の主人一家と看板借り芸者、下町と山の手、凋落と繁栄など多面的な対立的構図から成る。主人公はしろうと視点の立場でありながら、ある意味、中立的に、その存在感を強く顕示することなく生きていく。
映画の『流れる』は田中絹代、杉村春子、山田五十鈴、岡田茉莉子、栗島すみ子らそうそうたるキャストである。関川夏央は『家族の昭和』で栗島すみ子が昭和62年、85歳で、幸田文が平成2年、86歳で他界したことに言及し、次のように語る。

  彼女たちの死とともに、大正・昭和戦前という懐かしい時代は、その時代の
  家族像と花柳界の記憶を浮かべて満々たる隅田川の水のごとく、橋の下を
  流れ去った。

『流れる』、近々ぜひ観てみたいものである。


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