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16 février 2011

井伏鱒二『駅前旅館』

Arle
『駅前旅館』と聞くと往年のシリーズ映画を思い出す。
森繁久弥、伴淳三郎、フランキー堺に淡島千景、淡路恵子、池内淳子といずれも芸達者なキャストである。
その映画の原作となった井伏鱒二『駅前旅館』のおもしろさは、日常接することがあまりできない“裏側”を覗き見るところにある。幸田文の『流れる』の主人公梨花が“くろと”の世界を覗いたように。
以前仕事で結婚式場の舞台裏を見せてもらったことがある。厨房から披露宴会場に通じる秘密の通路を歩いてみた。風景は立ち位置が変わるとがらりと一変する。卒業した学校に久しぶりに訪ね、もうその生徒じゃない目で教室や校庭を眺めてみるときにも似たような感覚をおぼえる。
ぼくの母は若い頃銀座のデパートに勤めていた。客商売というのは客前で言えない言葉が多くあって、隠語によるコミュニケーションをする。マスコミや広告業界の人たちも“シーメー”とか“ヒーコー”とか業界用語を駆使する。当然、旅館にもある。主人公生野次平が随所に紹介してくれる。
旅館やデパートに限らず、どんな業界にも表と裏があるのだと思う。そして白昼のもとに曝された裏側は間違いなくおもしろい。それだけでこの本は有無を言わさずおもしろい小説なのである。
それにもましてこの本がいっそう読者を駆り立てるのは単なる裏側暴露にとどまらない人間観察に基づくものだからだ。駅前旅館という東京の都心ではまず見かけなくなった場所の、番頭という職業は今の時代に通用するビジネスヒントや接客の基本をその経験から数多く身に付けている。そういったちょっと大人の視点で読んでみるのも悪くない一冊だ。

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