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28 novembre 2013

川本三郎『向田邦子と昭和の東京』

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向田邦子の誕生日は11月28日である。
太宰治が入水自殺した日や三島由紀夫が自決した日を憶えていても、向田邦子の誕生日は案外知られていないのではないか。
たまたまなんだけど(そんなこと偶然以外のなにものでもないのだが)母と長女が同じなのだ。さらにどうでもいいようなことを書くと松平健も原田知世もいっしょだ。
向田邦子は昭和4年の生まれ。私事ではあるが、父のひとつ下で母の五つ上になる。生きておられれば今年で85歳ということだ。
現在の家族のあり方が生まれたのは昭和のいわゆる戦前であるといわれている。母から聞いた幼少時の話では昭和の前半は戦争による暗い時代だったそうだが、関川夏央の『家族の昭和』を読むと戦前の昭和は今でいう「家族」というスタイルが確立した時代だったことがわかる。明治から大正を経て、ようやく生活習慣や人びとの考え方が変わったというのだ。中流のサラリーマン家庭に育った向田邦子は新しい家族の時代を謳歌できる環境にあった。本書でもそのことが語られている。
そして向田邦子にとっての家族がいちばん色濃くあらわれているのがドラマ「寺内貫太郎一家」ではなかろうか。谷中の石屋石貫の主人貫太郎は向田邦子の父親がイメージされているという。時に家長として権威を振りかざす一方でふだんは家族の食卓シーンに小さくおさまっている。人情味にあふれている。明治から大正にかけて育ち、昭和で家庭を持ったたいていの男はこうして生きてきたのだろう。
ところで母の父、つまり母方の祖父は母が中学生のときに亡くなっている。南房総千倉町の実家にある遺影でしかその顔を知らなかった。先日、母がどこからか昔の写真が見つかったと見せてくれた。母はよく笠智衆みたいな感じのやさしい人だったと言っていた。たしかに写真を見ると似ていなくもない。
祖父もいわゆる昭和の父親だったのだろうか。

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