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décembre 2013

25 décembre 2013

富澤一誠『あの素晴しい曲をもう一度―フォークからJポップまで』

Shouwamachi
40年以上昔に東北本線の尾久駅で下車したことがある。
上野から東北、上信越方面に向かう列車の操車場がそこにあった。小学校の頃、同級生の高橋くんと写真を撮りに行ったのだ。たしか高橋くんのお父さんが付き添ってくれた。ふたりとももう他界している。
大井町あたりに住んでいて、よく行く親戚も赤坂や月島だったから、京浜東北線の北側は遠い世界だった。尾久という駅の近くに操車場があり、色とりどりの電車や客車が並んでいることを雑誌か何かで知り、行ってみたいと思ったのだろう。尾久駅は「おくえき」と憶えた。
高校生になって行動半径がひろがった。町屋に住む友だちや王子から通う同級生に尾久は「おく」ではなく、「おぐ」であると何度も正された。なぜ駅名だけ「おく」なのか。おそらくは「やまてせん」と「やまのてせん」の関係に近いのではないかと思っている。歴史的に見てもこの界隈は尾久村(おぐむら)と呼ばれていたようだ。
歌謡曲やニューミュージックの歴史を追った書物は多々あるが、やはり教科書的に平たく概観するのは無理がある。そんな気がする。
とりわけ評論家という立ち位置というか書き手の視点からでは難しい。
以前テレビの番組でなかにし礼が「不滅の歌謡曲」と題してその歴史をたどった。作詩家としての視点から歌謡曲を解き明かした。
坂崎幸之助は『坂崎幸之助のJ-POPスクール』でアーティストをめざした少年の視点でフォーク、ニューミュージックの世界を読みなおした。たしかこの本もラジオ番組をまとめたものだったと思う。1アーティストの昔話と言ってしまえばそれまでなのだけれど、むしろその方が味があって、生き生きと感じられる。
というわけで何が言いたいかというと、歌の歴史をまとめるのはたいへんだよなってことである。
「おくえき」を降りるとそこは昭和町(しょうわまち)だった。

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12 décembre 2013

村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』

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12月である。忘年会のシーズンである。
ここのところ、酒量が減っている(たぶん)。特に体調がすぐれないとかそういうことではなく、毎日毎日いやっていうほど飲むのに少し飽きてきたのだ。もちろん飲むときは飲むし、電車でとんでもないところまで乗り過ごすことだって以前とまったく変わらない。ひとりでふらっと居酒屋に入って、熱燗を2本飲んでぼんやり過ごすこともある。
東京の下町には安くて風情のある居酒屋が多く、その一軒一軒をたずね歩くのも悪くない。十条の斎藤酒場、王子の山田屋、北千住のおおはし。
このあいだは下町散歩仲間のKさんと新子安の諸星に行った。キンミヤの割梅ロックでしたたかに酔っ払った。少し反省した。
昼間、蕎麦屋で飲む酒もうまいもんだ。神田のまつやとか室町の砂場あたりで板わさ、焼鳥などをつまみに熱燗を飲む。いいとこ2本も飲めばじゅうぶんだ。蕎麦屋に長居するのも野暮だ。
たずねてみたい居酒屋や蕎麦屋はいくらでもあるけれどどちらかというといろんな店に行ってみるより、同じところに何度も足を運ぶ方が好きかも知れない。
仕事を終えて、パブで一杯だけ飲んで帰ることもある。ひとりで本を読みながら、ギネスの1パイントをゆっくり飲む。活字を追っているとだんだん自分が酔ってくることがわかる。
そういえば最近ウィスキーを飲んでいない。
以前は南青山の墓地近くにあるバーに立ち寄って、ワイルドターキーのライをちびりちびりと飲んだものだ。シングルモルトもそこでいろいろおそわった。
ウィスキーは奥が深い酒だと思った。
そういえばそのバーで村上春樹を何度か見かけたことがある。バーとしては比較的はやい時間帯であったと思う。
「あ、ご無沙汰してます」
「あ、どうもお久しぶりですね」
などという会話を交わすわけもなく、やはりバーとしてははやい時間帯にカウンターを去っていった。
バーは移転して今は西麻布にある。もう2年くらい行っていない。

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