新書

08 juin 2014

宇都宮浄人『 路面電車ルネッサンス』

P1070858
東京六大学野球リーグには古い記録が残っている。
比較的新しい新記録といえば平成14年に江川卓(法政~巨人)の通算奪三振443を和田毅(早稲田~ソフトバンク、オリオールズ)が476に塗り替えたあたりか。田淵幸一(法政~阪神、西武)の通算本塁打22本を越えた高橋由伸(慶應~巨人)の23本も平成9年だから20世紀の記録になる。
投手の通算最多勝利、山中正竹(法政~住友金属)の48に迫った記録として江川卓の47があるが、おそらくこれは未来永劫更新されることはないだろう。あるとすれば通算安打数の新記録。用具や技術、練習方法などの進歩がもたらすものは野球においては攻撃面だ。
昭和42年に打ちたてられた通算最多安打、高田繁(明治~巨人)の持つ127本。これはいずれ越えられるであろうとずいぶん前から思っていた。
これまで多くの選手が高田越えに挑んできたが、もっとも肉迫したのが堀場秀孝。堀場は長野の丸子実業出身。江川と同期であるが、受験に失敗し、一年浪人した後慶應義塾に入学した。1年春から正捕手としてレギュラー入り、以来安打を重ねること125本。卒業後はプリンスホテルから広島、大洋、巨人と渡り歩いた。
堀場に次ぐのが彼の先輩にあたる松下勝美(慶應~松下電器)の123本。昭和43~46年の記録だから、高田と入れ違いにリーグ戦デビューしてつくられた記録だ。
4人いる120本越えのあとひとりが大引啓次。法政からオリックスにすすんだ平成の安打製造機である。以下、高橋由伸、岡田彰布(早稲田~阪神)、中村豊(明治~日ハム、阪神)、鳥谷敬(早稲田~阪神)。ここまでが115本以上。
路面電車には未来があると思っている。実相寺昭雄監督もそう言っていた。
この本は鉄道趣味的な枠組みを越えて路面電車の未来を語る。夢物語ではない新しい都市交通を描いている。
何を隠そう今ひそかに応援しているのは大学野球と路面電車なのである。

| | Commentaires (0)

06 juin 2014

河尻定『歩いてわかった東京ふしぎ地図』

557738_515774908498024_123750651_n
国立競技場が建て替えられるという。
そのデザイン、費用など賛否両論。どちらかといえば反対意見を多く耳にする。
霞ヶ丘あたりの景観も一変するようだ
フリーマーケットなどでにぎわう明治公園もレンガ色の日本青年館も新国立競技場にのみこまれてしまう。明治公園は南側にある都営霞ヶ丘アパートが取り払われた跡地に移転するとも当初聞いた。
先日新聞で見た完成予想イメージでは明治神宮第二球場は残るようだが、あるいは改装されるのかもしれない。神宮第二球場は狭さゆえに東都大学2部リーグでも使用されなくなっている。場外に飛んで行ってなくなるボールが財政を圧迫しているというのはほんとうか。
先月、明治神宮野球場に東京六大学野球春のリーグ戦慶應対早稲田の一回戦を観に行った。勝ち点をとった方が優勝という盛り上がる早慶戦だ。リーグ戦を通じて好投を続ける早稲田有原から慶應の竹内が起死回生の逆転本塁打を放ち、初戦をものにした。その勢いをかって翌日も逆転勝ち。みごとに34回目の優勝を飾った。病気療養中の竹内監督(本塁打を打った竹内選手の父)に代わって指揮を執った江藤助監督がインタビューで涙していた。
千駄ヶ谷駅まで歩いて帰る途中、国立競技場のまわりには別れを惜しむ人であふれかえっていた。その勇士をカメラにおさめたり、記念撮影をするものもいた。これほど多くの人のまぶたに国立競技場が焼き付けられたのはまさしく先の東京オリンピックの開会式以来ではあるまいか。
この本の著者は日本経済新聞の記者だという。メディアとしての新聞は衰退しつつあるというが、やはり取材して記事にするというプロセスの中で興味深いネタが説得力あふれる事実に育っていくのだろう、読んでいておもしろい。町のうわさやネットで目にするさまざまな情報に感心するレベルをはるかに超えて、納得できる真実がそこに露呈していく。
このようにして国立競技場の物語が後世に伝えられて行ったらこれにまさる喜びはない。

|

25 décembre 2013

富澤一誠『あの素晴しい曲をもう一度―フォークからJポップまで』

Shouwamachi
40年以上昔に東北本線の尾久駅で下車したことがある。
上野から東北、上信越方面に向かう列車の操車場がそこにあった。小学校の頃、同級生の高橋くんと写真を撮りに行ったのだ。たしか高橋くんのお父さんが付き添ってくれた。ふたりとももう他界している。
大井町あたりに住んでいて、よく行く親戚も赤坂や月島だったから、京浜東北線の北側は遠い世界だった。尾久という駅の近くに操車場があり、色とりどりの電車や客車が並んでいることを雑誌か何かで知り、行ってみたいと思ったのだろう。尾久駅は「おくえき」と憶えた。
高校生になって行動半径がひろがった。町屋に住む友だちや王子から通う同級生に尾久は「おく」ではなく、「おぐ」であると何度も正された。なぜ駅名だけ「おく」なのか。おそらくは「やまてせん」と「やまのてせん」の関係に近いのではないかと思っている。歴史的に見てもこの界隈は尾久村(おぐむら)と呼ばれていたようだ。
歌謡曲やニューミュージックの歴史を追った書物は多々あるが、やはり教科書的に平たく概観するのは無理がある。そんな気がする。
とりわけ評論家という立ち位置というか書き手の視点からでは難しい。
以前テレビの番組でなかにし礼が「不滅の歌謡曲」と題してその歴史をたどった。作詩家としての視点から歌謡曲を解き明かした。
坂崎幸之助は『坂崎幸之助のJ-POPスクール』でアーティストをめざした少年の視点でフォーク、ニューミュージックの世界を読みなおした。たしかこの本もラジオ番組をまとめたものだったと思う。1アーティストの昔話と言ってしまえばそれまでなのだけれど、むしろその方が味があって、生き生きと感じられる。
というわけで何が言いたいかというと、歌の歴史をまとめるのはたいへんだよなってことである。
「おくえき」を降りるとそこは昭和町(しょうわまち)だった。

|

28 novembre 2013

川本三郎『向田邦子と昭和の東京』

Img011
向田邦子の誕生日は11月28日である。
太宰治が入水自殺した日や三島由紀夫が自決した日を憶えていても、向田邦子の誕生日は案外知られていないのではないか。
たまたまなんだけど(そんなこと偶然以外のなにものでもないのだが)母と長女が同じなのだ。さらにどうでもいいようなことを書くと松平健も原田知世もいっしょだ。
向田邦子は昭和4年の生まれ。私事ではあるが、父のひとつ下で母の五つ上になる。生きておられれば今年で85歳ということだ。
現在の家族のあり方が生まれたのは昭和のいわゆる戦前であるといわれている。母から聞いた幼少時の話では昭和の前半は戦争による暗い時代だったそうだが、関川夏央の『家族の昭和』を読むと戦前の昭和は今でいう「家族」というスタイルが確立した時代だったことがわかる。明治から大正を経て、ようやく生活習慣や人びとの考え方が変わったというのだ。中流のサラリーマン家庭に育った向田邦子は新しい家族の時代を謳歌できる環境にあった。本書でもそのことが語られている。
そして向田邦子にとっての家族がいちばん色濃くあらわれているのがドラマ「寺内貫太郎一家」ではなかろうか。谷中の石屋石貫の主人貫太郎は向田邦子の父親がイメージされているという。時に家長として権威を振りかざす一方でふだんは家族の食卓シーンに小さくおさまっている。人情味にあふれている。明治から大正にかけて育ち、昭和で家庭を持ったたいていの男はこうして生きてきたのだろう。
ところで母の父、つまり母方の祖父は母が中学生のときに亡くなっている。南房総千倉町の実家にある遺影でしかその顔を知らなかった。先日、母がどこからか昔の写真が見つかったと見せてくれた。母はよく笠智衆みたいな感じのやさしい人だったと言っていた。たしかに写真を見ると似ていなくもない。
祖父もいわゆる昭和の父親だったのだろうか。

|

24 novembre 2013

笠松良彦『これからの広告人へ』

10961241865_b7bbd53bd0
さて、今年の大学野球をふりかえってみよう。
大学野球といっても東京六大学リーグばかり観ていて他チームの試合は全日本選手権や明治神宮大会でしかお目にかかっていない。おのずと偏りがある。
今年は明治大学の年だった。春は昨秋優勝の法政が勝ちっぱなしで最終週を迎え、明治と激突。明治は勝ち負けをくりかえしながらもなんとか勝ち点4で法政と並んでいた。初戦を落とした明治の第2戦、法政のねばりに会って引き分ける。悪い流れのなかで第3戦、ようやく法政に土を付け、流れを引き寄せる。混戦に持ち込んで這い上がるのがこの春の明治の勝ちパターン。第4戦は終始リードされる苦しい展開となったが思いがけないエラーで逆転、そのまま1点差を守りきった。
大学選手権は上武大に不覚をとり、4強にとどまった。
秋は立教に勝ち点を落としたものの春より安定した戦いぶりだった。立教対明治の3回戦で舟川が起死回生の代打逆転3ランを放った。観ている方もびっくりしたが、打った本人も感極まって涙のホームインだった。4年間野球を続けてきたよかったと思ったのだろう。
明治神宮大会は明治と亜細亜の一騎打ち。準決勝では明治中嶋、亜細亜嶺井が主将の仕事をして試合を決めた。が、流れをつかんだのは後者だった。先制ホームランと貴重な追加点となるタイムリーヒット。母校の沖縄尚学が初優勝を決めたその直後だけに嶺井にも期するものがあったにちがいない。亜細亜は九里、山崎のリレーで全試合を戦い抜いた。トーナメントを勝ち抜くにはそれ以外にないとの判断だろう。戦国東都をはじめ、入れ替え戦のある連盟に加入している大学は負けない術を知っているのだろうか。
以前いっしょに仕事をしていたTくんがイグナイトという会社に移り、広告ビジネスの最前線でがんばっているようだ。この本の著者はそのイグナイトの代表。広告ビジネスにはスピードと結果をともなう緻密さがこれまで以上に求められている。その足場が悪く、水の流れの激しい上流で彼らは仕事をしている。そんなことがわかった。

|

23 novembre 2013

タカハシマコト『ツッコミニケーション』

10961364196_8e3131c115
明治神宮野球大会が終わり、今年の野球も全日程終了。
この大会は高校の部と大学の部にわかれて、それぞれ今年最後の日本一を競う。高校の部は全国10地区の秋季大会優勝チームが集まり、大学の部も各地区のリーグ戦勝者、あるいは勝者同士の代表決定戦を勝ち抜いたチームでトーナメント戦を行う。高校生は夏の選手権後、1,2年生による新チームが始動する。その頂点を決める大会であり、大学生にとっては4年最後の大会となる。そういう意味合いがあるのか知らないが、高校の部は午前中、大学の部は午後に行われる。当然この時期だから16時半くらいからはじまる第4試合ともなると点灯ゲームになる。スタンドでじっと観ているのと身体が冷えきって凍えるのである。高校生の試合と大学生の試合を観ていると金属製か木製かといったバットの違い以外にも微妙にルールが異なっていることがよくわかる。高校チームの監督はのっしのっしとマウンド上に歩いていって、ピッチャーに「どうだ、まだ行けるか」などと声をかけたりできないのだ。
今大会、高校の部決勝は九州地区代表の沖縄尚学と北信越代表の日本文理の対戦だった。準決勝をともにコールド勝ちした打撃のチームである。初回、日本文理の先頭打者が初球をいきなりスタンドに運ぶ。これを皮切りに打つわ打つわ、ホームラン5本とタイムリーヒット1本で6回までに8-0。決勝戦でなければ次の回でコールド勝ちだ。その7回、沖縄尚学に3ランホームランが出て、完封負けは避けられた。と思っていた続く8回、もう1本3ランが飛び出す。相手エラーにも助けられ、1点差まで詰め寄り、さらにタイムリーが飛び出しなんと8点差をひっくり返してしまった。
ネット広告やソーシャルの時代になって、今はまさにオンタイムでコミュニケーションすることが可能になった。この本は「ボケ・ツッコミ」をキーワードにして今どきの広告手法をわかりやすく説いている。
こんなびっくりした試合は滅多に観られるものではないが、その前、5回にもびっくりしている。それは日本文理の飯塚が放ったその日2本目(今大会3本目)のホームランだ。低い弾道を描きながらぐんぐん伸びていく打球はそのままバックスクリーンの向うへ飛んで行った。飛ぶボールが使われているのか、とツッコんでみた。


|

29 avril 2013

博報堂ブランドデザイン『ビジネスは「非言語」で動く』

Yurikamome
バレー部のK先輩から電話があった。去年のことだけど。
娘さんが貯まったカードのポイントを使ってカメラを交換したいという。その選択肢にソニー製とパナソニック製があって、どっちがいいかという話。近々子どもが生まれるということで動画も撮れて、それなりによく写るカメラが欲しかったのだろう。まさにそんな相談の孫請けをしたわけだ。
先日も書いたように頭の中はオリンパスペンになっていたのでNEXに関してもLUMIXに関しても知識がない。さっそく調べてみた。ここでようやくデジカメにはセンサーの大きさによって、35ミリフルサイズ、APS-C、マイクロフォーサーズとざっくり分けられることを知る。オリンパスペンやLUMIXはマイクロフォーサーズでNEXはミラーのついた一眼レフにも使われているAPS-Cだ。くわしい違いはわからない。マイクロフォーサーズはレンズが小さくて、APS-Cだとちょっとレンズが大きい。それとソニーのEマウントってなかなかいいレンズだということはわかった。
そんなわけで先輩にはNEXをすすめたわけだが、その後どうなったかは知らない。
コミュニケーションでだいじなのは雰囲気であるという人がいる。話していることの内容そのものが伝わるのは1割以下で、3割が声が大きさ、残りは話し手の雰囲気だと教えてくれた上司が昔いた。
佐々木俊尚はハイコンテキスト、ローコンテキストという分類をして、コンテキスト、つまりコミュニケーションの背景みたいなものの関与の仕方でコミュニケーションの方法は異なる、みたいなことを言っていた(もともとはアメリカの文化人類学者エドワード・ホールという人らしい)。日本人のコミュニケーションはまさしくハイコンテキストで伝える努力やスキルに乏しくても相手に通じてしまう。まあそんな非言語コミュニケーションがビジネスではだいじだよ、という本だ。
マイクロフォーサーズより、さらに小さなセンサーを使ったデジカメがあることをその後知った。ニコン1とペンタックスQであるが、その話はまた後日ということで。


|

04 avril 2013

保坂正康、東郷和彦『日本の領土問題』

Sakurasaku
選抜高校野球の楽しみは成長を感じることではないかと思う。
昨夏、上級生が引退したあとの新チームによる地区大会が各地で行われ、その勝者10校が神宮球場での全国大会に出場する。明治神宮野球大会である。
昨秋は仙台育英が猛打で圧倒した。準優勝の関西も、4強の春江工、北照も春が楽しみなチームだった。もちろん各地区優勝チーム以外も選抜大会には多くの有力校が選ばれる。秋に強かった学校がどれほど強くなって甲子園にやって来るのか、苦杯を喫したチームがどれくらい力をつけて来るのか。こういう視点で選抜大会を観ているのだ。
仙台育英の秋は強かった。桁違いの打力だった。そのまますんなり春も勝つだろうと思われた。秋の地区大会を勝ったチームのうち関西、春江工、京都翔英など5校が初戦で消えた。これも彼らがしかるべき努力を怠ったからではけっしてなく、昨秋敗れたチームが彼らを上回る鍛錬を積んだ結果だと思いたい。
選抜決勝は明治神宮大会組の浦和学院と秋季四国大会4強の済美。浦学の格上感は否めないものの、思わぬ大差がついてしまった。それでも済美の2年生エースはいい。ベスト4に2校を送りこんだ四国勢のレベルを上げているのは打倒安樂への意気込みかも知れない。
領土問題についてはあまり関心がなかった。これからの時代、領土であるとか主権であるとか少しは学んでおくべきだろう。以前一冊読んでいたが、さらに現代的な視点を加味したこの本を手にとった。
共著者の東郷和彦はとりわけ北方領土問題解決に向け、幾多の施策を試みてきた人と聞く。志なかばで外務省を退官されたのは残念なことだが、それ以降も内外の大学で教鞭をとるなど、この問題について引き続き、活躍されている。
東京では1日から春季大会がはじまった。夏は遠くない。

|

25 mars 2013

博報堂ブランドデザイン『ビジネス寓話50選』

Senjuohashi
仕事って何だろう。
どうでもいいようなことを最近考えさせられた。
今は広告のコンテンツをつくっている。広告会社から依頼され、広告主の利益になるような映像をつくる仕事だ。担当した商品が売れることが結果としていい仕事だったりする。その先のことまでなかなか想像力がはたらかない。その商品を買った人、使った人がどんなにしあわせになっただとか、そういったことをリアルには想像しない。あくまでコンテンツのなかのストーリーづくりのために想像するだけである。映像をつくる。そのためのしあわせ。ほんとうのしあわせではないしあわせを絵に描いているだけ。広告主の利益のためのしあわせ。
先日、バレー部のK先輩宅へ出向いて、無線LANの設定をしてきた。昨年末お孫さんが生まれた。娘さんはカナダ人と結婚し、モントリオールに住んでいる。暮れに先輩はカナダに行って、ご対面を果たしてきたそうだが、世の“じいじ”(本人はGranpaと言っている)というものは孫がかわいくて仕方のないものだ。僕の父もそうだった。とりわけ初孫はそうだ。
先輩はパソコン音痴というわけでもないのだが、基本めんどうなことが嫌いなので、やれエクセルでこんな表をつくりたいとか、自宅にメールで届いた写真を仕事場のパソコンで見るにはどうしたらいいのかとか、てっとり早く答えを聞きたく、しばしば電話をかけてくる。今回の無線LAN設定プロジェクトもそのひとつだ。
今はとにかく便利な世の中でメールで写真や動画が送られてくるのはもちろん、Skypeなどを使えばテレビ電話だってできてしまう。タブレット端末でもあれば、パソコンを起ち上げる手間もいらない。このプロジェクトのポイントはそこにあった(先輩が自分でWebカメラを買ってきてSkypeをつないだのには正直びっくりした)。先輩が奥さんに購入したiPadでSkypeをつなぐ。
作業的にはさほどの困難はなく、光回線終端装置と各部屋に振り分けるHubの間にブロードバンドルーターを設置して、先輩の居住スペースに無線LANのアクセスポイントを置く。ものの一時間ほどで無事開通。そのときの先輩と奥さんのうれしそうな顔ったらなかったなあ。そのうれしさがこっちにもひしひしと伝わってくる。海外で子育てする娘さんだって、よろこぶにちがいない。
こういう感動をもっとうまく人に伝えられたらなあと思うのだ。たとえば寓話にするとかしてね。
それにしても人をしあわせにするってたいせつなことだと、久しぶりに思った。

|

11 janvier 2013

稲田修一『ビッグデータがビジネスを変える』

20130106
昔、本を読み終わると見返しあたりに日付を書いていた。ところが読み終えてから再読するなどしない限り、そんなものは忘れてしまう。ということで何年何月に読み終えたかくらいは別途ノートに記しておこうと思った(たぶん)。そのノートが先日見つかった。
最初の記録は《1978-7 勝田守一編 『現代教育学入門』》とある。大学入学以降、そんなことをはじめたことがわかる。というか、中学から高校にかけてはほとんど本を読まなかった。小学校の頃は人並みに伝記や怪盗アルセーヌ・ルパン、宝島、十五少年漂流記くらいは読んでいたが、それ以降大学生になるまでおそらくは夏休みの課題図書以外に本を読んだ記憶がない(課題図書ですら読んだかどうか)。そういった点からすると大学入学以降取りはじめた記録はほぼ生涯の読書記録の原点であるともいえる。と同時に、これだけ読書と無縁の人間をすんなり受け容れた当時の高等教育機関もたいした度胸だったと言わざるをえない。
ノートのままスキャンして保存しておこうかとも思ったんだけど、誤記もあるかもしれないのでキーボードを叩いてテキストデータにすることにした。記録してあるのは年月と著者名、題名だけだ。あやふな書き方をしているものもおそらくあるだろうし、今ならグーグルなどで検索すれば正確なことが簡単にわかる。
はじまりは1978年7月だが(大学に入って1冊も本を読まずに3カ月、僕は何をしていたんだろう)、最後は《1986-11 カート・ヴォネガットJr 『ガラパゴスの箱舟』》となっている。新宿御苑にほど近いテレビコマーシャル制作会社にもぐり込んだのが1986年だから、一応働き出してからもそれなりに記録を残していたのだ(たしかにその年から読書量が激減している)。
書き写していておもしろいと思うのは当時目茶苦茶に読んでいたつもりなのに、流れで見てみるとそれなりに自分の中でブームがあったんだということがわかることだ。大江健三郎ばかり読んでいたころがあったり、ルソーとロマン・ロランだけ読んでいた2ヵ月があったり。きっと小学生のころからずっと記録していたらちょっとした自分精神史になったかもしれない。これは一個人のスモールデータに過ぎないのだが、僕自身にとってはビッグデータといえるのではないだろうか。
この本でいうところのビッグデータとはちょっと違うんだけど。
読書記録はその後1992年に読書感想文を書こうと思い立って復活した(もちろんすべてではなく、書けたものだけ記録に残っている)。以後ブログや最近ではソーシャルメディアに記録を残している。最近の読書記録は振り返ってみてもおもしろくない。ソーシャルという枠組みがおもしろくないのか、読んでいる本がおもしろくないのか、はたまたまだまだ熟成が足りないのか。 

|

より以前の記事一覧