エッセー・紀行

05 mai 2014

川本三郎『ちょっとそこまで』

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春センバツはぜひ甲子園で観たいと思っていた。
その前日、突然の訃報が届いた。イラストレーターである叔父が脳出血で亡くなったという。
甲子園で都立小山台高校の試合を観戦したら、その翌日は父の墓参りに南房総に行こうとバスの予約もしていた。電話をくれた母も何度となく信じられないと繰り返していた。
叔父は最初に勤めた広告会社を4年で辞め、ニューヨークに旅立った。69年の3月27日の日曜日である。
なんでそんな細かいことを憶えているかというと当時子どもたちに人気のテレビ番組「ウルトラQ」の日だったからである。それも前の週の予告でガラダマが東京を襲うというのである。ガラモンが東京を焦土と化すというのにパンアメリカンの航空機でアメリカへなんか行けるわけがない。
出発は夜だった。なにせ当時、昭和40年代なかばの渡航だ。東京じゅうの親戚が叔父を見送りに行くのだ。ガラモンの登場まであとわずかというところで僕はテレビの前から引きはがされ、羽田へ連れて行かれてしまった。
羽田空港は当時出国する人と最後にことばを交わせるように刑務所にある窓みたいな、穴を穿った厚いアクリル板があって、そこでみんなが叔父にさよならを言うのだ。もちろん僕もさよならを告げた。涙があふれた。それはガラモンを視ることができなかったくやし涙だった。
川本三郎の若かりし頃(といっても40を越えているけれど)の紀行文。
随所に若さが読み取れる。歩きに力強さが感じられる。
そういうわけで48年後の3月春の日、叔父を見送りに行ってきたのだ。

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12 décembre 2013

村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』

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12月である。忘年会のシーズンである。
ここのところ、酒量が減っている(たぶん)。特に体調がすぐれないとかそういうことではなく、毎日毎日いやっていうほど飲むのに少し飽きてきたのだ。もちろん飲むときは飲むし、電車でとんでもないところまで乗り過ごすことだって以前とまったく変わらない。ひとりでふらっと居酒屋に入って、熱燗を2本飲んでぼんやり過ごすこともある。
東京の下町には安くて風情のある居酒屋が多く、その一軒一軒をたずね歩くのも悪くない。十条の斎藤酒場、王子の山田屋、北千住のおおはし。
このあいだは下町散歩仲間のKさんと新子安の諸星に行った。キンミヤの割梅ロックでしたたかに酔っ払った。少し反省した。
昼間、蕎麦屋で飲む酒もうまいもんだ。神田のまつやとか室町の砂場あたりで板わさ、焼鳥などをつまみに熱燗を飲む。いいとこ2本も飲めばじゅうぶんだ。蕎麦屋に長居するのも野暮だ。
たずねてみたい居酒屋や蕎麦屋はいくらでもあるけれどどちらかというといろんな店に行ってみるより、同じところに何度も足を運ぶ方が好きかも知れない。
仕事を終えて、パブで一杯だけ飲んで帰ることもある。ひとりで本を読みながら、ギネスの1パイントをゆっくり飲む。活字を追っているとだんだん自分が酔ってくることがわかる。
そういえば最近ウィスキーを飲んでいない。
以前は南青山の墓地近くにあるバーに立ち寄って、ワイルドターキーのライをちびりちびりと飲んだものだ。シングルモルトもそこでいろいろおそわった。
ウィスキーは奥が深い酒だと思った。
そういえばそのバーで村上春樹を何度か見かけたことがある。バーとしては比較的はやい時間帯であったと思う。
「あ、ご無沙汰してます」
「あ、どうもお久しぶりですね」
などという会話を交わすわけもなく、やはりバーとしてははやい時間帯にカウンターを去っていった。
バーは移転して今は西麻布にある。もう2年くらい行っていない。

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21 novembre 2013

村上春樹『雨天炎天』

トルコという国をさほど意識したことがなかった。
もちろんまったく未知の国というわけではない。学校で習った世界史や地理程度のことは知っている(ほんとうか?)。ヨーロッパとアジアの境界に位置し、庄野真代が「飛んでイスタンブール」と歌っていた国だ。ちなみに首都はイスタンブールではなく、アンカラだ。まちがって憶えていたとしても恨まないのがルールだ。旅行会社の新聞広告はカッパドキアという世界遺産を見に行こうと声高に叫んでいる。まだまだたくさん知っているが、この辺で勘弁してやろう。
本を読むとき、たいていその舞台や登場人物などをイメージしながら読みすすめる。だが残念なことにトルコという国のイメージが脳裏に浮かんで来ない。これまでその国を思い浮かべながら読んだ本といえば梨木果歩の『村田エフェンディ滞土録』くらいだ。このときはトルコというよりアラビアみたいな空間を思い浮かべながら読んでいた。もちろんアラビアのことだってろくに知らない。ともかく自分がいかにトルコと無縁な人生経験を積んできたかを思うとたいへん申し訳なく思う。ついでにいえば、ギリシャも同様で青い海と白い建物と石づくりの遺跡。その程度のイメージしか持っていない。B。G.M.はジュディ・オングだ。
まだ読んでいない村上春樹の本、読みつぶしの旅。今回は『雨天炎天』、ギリシャ、トルコ紀行である。
ギリシャは巡礼の旅、トルコは命がけの冒険物語。読み応えじゅうぶんの旅行記だった。ギリシャ正教の聖地アトスを徒歩で旅する前半はコリーヌ・セロー監督の「サン・ジャックへの道」を思い出させてくれたが、おそらくはそんなのんきな旅ではなかったろう。後半は埃にまみれ、危険と背中合わせの緊張のトルコ一周。
たいていの紀行文は読み手を旅に誘う役割を少なからず持っている。ところがこの本に関してはまったくそういう気にさせない。そこが辺境の旅たる所以だ。
これを読んで、同じ旅をしたいですかと訊かれたら、答は迷わずノーだ。

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18 novembre 2013

田宮俊作『田宮模型の仕事』

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昔はティックではなく、チックだった。
ゴチックとかマグネチックとかドラマチックとかエロチックとか。
最近ではもっぱらティックである。たとえばエレキギターではない古典的なギターをアコースティックギターと呼んで区別したりするけれど、今の時代は「アコースティック」であり、「アコースチック」ではない。アコースチックギターなんて全然アコースティックじゃない。
ティックをチックにしてしまうとどことなく古くさくなる。アーティスチックは芸術の匂いが薄れるし、ロジスチックだと荷物の届くのが遅れそうだ。ニヒルスチックはあんまりニヒルじゃないし、アクロバチックは場末のサーカスみたいである。
アメリカのメジャーリーグにアスレチックスという球団がある。古くからアスレチックスと表記されているのであまり違和感がない。フィールドアスレチックなどという場所が日本全国にある。定着した言葉はむしろチックでいい。プラスチックもそうだ。
田宮模型をはじめとする静岡の模型メーカーは古くは木の模型をつくっていた。恵まれた森林資源が背景にあったからだ。しかし時代の主役は木から石油に変わった。絹がナイロンに変わったように。
戦後次々に海を渡ってきたアメリカ製品は日本人のあこがれだった。プラスチックモデルとて例外ではなかった。静岡の木工メーカーはプラモデルへの転向を模索した。本書『田宮模型の仕事』はこのあたりからはじまる。
数ある模型メーカーのなかで田宮模型が頭角をあらわしてくる。そこには卓越した芸術的センスと好奇心、探究心があった。加えて日本人ならではともいえる緻密な目と手が次々に精巧なプラモデルを生んでいく。プラモデルの昭和史というにはスケールの大きな一冊と言っていいだろう。
プラスチックがプラスティックにならないでプラスチックのままでいてくれるのはプラモデルも一役買っているのではないだろうか。
それはともかく、カメラを担いで戦車を撮りにドイツまで行ってみたいったらありゃしない。

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22 octobre 2013

村上春樹『遠い太鼓』

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海外で暮らすというのはどんな気分なのだろう。
前世紀の最後の年にアメリカのテキサスに3週間滞在した。コンピュータ・グラフィックスをサンアントニオの制作会社に発注し、その進捗状況をチェックする、そんな仕事だった(細かく言えばそれ以外にもたいへんな仕事はあったけど)。さすがに3週間もいると仕事以外の時間を持て余す。話すことといえば日本に帰ったらまず何を食べたいかなんてことばかりだ。
以前南仏を訪れたとき、SNCFの列車に乗って、アルル、アヴィニヨン、マルセイユ、ニースなどをまわった。そのなかでいちばん気に入った町はアンティーブ。町全体が静かで(まあコートダジュールの町はたいていそうなんだけど)、リゾート地ではあるのだろうが観光地らしくない。城壁に囲まれた旧市街が駅から近い。ビーチも近い。ああ、海外で永住するならこんな町がいい、と思ってしまったわけだ。
それから具体的に永住するにあたって、アパートの家賃はいくらくらいなのだろうとか、なにか仕事は見つかるだろうかとか、日本に残してきた両親の面倒はどうするんだろうかとか考えはじめた。で、永住する計画は考えないことにした。
母方の叔父が20代の終りに近い頃、それまで勤めていた広告会社を辞めて2年ほどニューヨークのデザインスタジオで働いていた。本人はもっといたかったらしいがビザの関係で帰国せざるを得なかったようだ。叔父から母宛てに何通か手紙が届いており、見せてもらったことがある。祖母(つまり母と叔父の母)が誰かに住所を代筆してもらって手紙を送ってくれた話なんかが書かれている。平和なうちに帰ってきなさいと書いてあったという。
村上春樹が南ヨーロッパで暮らした何年かを書き記したこの本はそんな叔父のニューヨーク便りにも似ておもしろい。具体的なことを具体的に考えなければ海外で生活するってのはやっぱり楽しいのだ。見知らぬ土地で見知らぬ国民性や風習に出会い、不思議な体験ができるのだ。ギリシャやローマに住んでみたいとはこれっぽっちも思わないけれど、この種の経験というものはしてみてけっして損はないだろう。
深い井戸に潜るには海外で生活するのがいちばん手っ取りばやいという気もするし。

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11 octobre 2013

高橋輝次編著『誤植読本』

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十数年ぶりに四谷の焼鳥屋に行った。
十数年前、高校時代の親友とそのカウンター席に座った、そしてとりとめのない話をした焼鳥屋だ。そのときでさえ十数年ぶりに会ったわけだから、気が利かない幹事が仕切るクラス会のようなものだ。
高校時代のクラブ活動の先輩や同期、後輩とは毎年顔を合わせている。親しい先輩とは新年会だの忘年会だの年に何度か会っている。奥歯の付け根あたりが痛み出すと毎週のように会いに行く先輩もいる。ところが部活以外となると自慢じゃないが友だちと呼べるような人がからっきしいなくなる。せいぜい同じ広告の仕事をしているとかじゃない限り、部活でいっしょだった同期以外に会うことはまずない。そういった意味では四谷の焼鳥屋のカウンターというのは貴重な存在だ。
最近ではFacebookでおたがい近況はなんとなくわかる。
俺はあいかわらず酔っぱらっていて、神宮で野球を観て、カメラをぶらさげて町歩きしている。やつは合気道だか、空手だかをやっていて(実は正確なところは知らなかったりするのだが)、休みの日には落語ばかり聞いて、野球は阪神戦しか観ない。
と、この程度のことはわかるので何も直に会って、皮だの、ねぎまだの、つくねだのをかじりながら酒を飲むこともないのである。
いつだったか本屋でこの本を見かけた。『誤植読本』、おもしろそうじゃないか。
中身は見なかった。立ち読みする時間がなかったのだ。なんとなくではあるが、こういうことはあいつが詳しいんじゃないかと思って、焼鳥屋で十数年に一度会う友にFacebookで訊いてみた、「この本、おもしろいか?」と。
誤植は奥が深い。それは四谷の焼鳥屋のカウンターで頬張る炭火の焼鳥にも似た深さがある。
こうしてとりとめのない夜はとりとめもなく更けていくのであった。

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06 juin 2013

銀座百点編集部編『私の銀座』

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東京六大学春季リーグ戦は明治と法政の一騎打ちだった。
船本、石田を中心に投手力で勝る法政は開幕から連勝で勝ち点を伸ばし、一方明治は東大戦以外は3戦、4戦ともつれる展開だったが、同じく勝ち点4で法政との決戦にのぞんだ。初戦を法政が取り、9連勝で優勝に王手。粘り強さの明治もここまでかと思われたが、翌日の第2戦を引き分ける。リードしながら追いつかれての引き分け、明治は流れをつかめない。ところが第3戦、中軸にタイムリーヒットが集中し、タイに。こうなると明治ペース。第4戦も接戦だったが、関谷、山崎の日大三リレーで法政を振りきった。
翌週の早慶戦はそれまで打てなかったのが嘘のように早稲田の打棒がさく裂。2連勝ですんなり4位が決まった。
早慶戦が終わったあとのお楽しみは新人戦だ。これは1、2年生によるチームでトーナメント戦を行う大会。昨年甲子園を沸かせた新入生たちのデビュー戦となることが多い。神宮球場に集まるファンもマニアックな野球好きである。この春も北海のエース玉熊(法政)や作新の石井(早稲田)らが先発出場した。
新人戦の楽しみはこうした1年後の高校球児に出会えることもあるが、野球本来の“音”に触れられることも忘れてはなるまい。リーグ戦と異なり、スタンドに応援団の姿はない。客席にいるのは出場する下級生の家族や上級生、アマチュア野球に心酔するファンが少々。だいたいそんなところだ。そのぶん、野球の音が球場じゅうに響きわたるのだ。
バットの芯でとらえられたボールの、長く余韻を引く音。ミットにおさまる直球の乾いた音。ベース前を削りとるスライディングの摩擦音。ベンチから飛びかう気合いのひと声。スタンドで耳を澄ましているだけで存分に野球に浸れるのだ。
銀座は大人の町だった。革靴を履かなくちゃ行けない町だった。
人それぞれに野球の楽しみ方があるように、人それぞれの銀座があるもんだ。

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18 mai 2013

岡康道『アイデアの直前』

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企画の仕事をしている。
企画といってもテレビコマーシャルのストーリーを考える仕事だ。僕たちの世界では映像の構成やナレーション、劇中の会話、バックに流れる音楽や画面上に乗っかるスーパーインポーズなどトータルで考え、絵コンテというカタチにする作業を企画と呼んでいる。ラジオであれば映像は考えなくていい。ただし映像がないぶんだけ気を遣うことも多い。「ごらんのように」なんていう言い回しが通用しない。「上腕二頭筋」みたいにいきなり耳に飛び込んできてもわかりにくい言葉は使いにくい。テレビとラジオとでは作業上似ているところも多いが、根本的に違う部分も多い。
企画をする上で役に立つのが、諸先輩をはじめとする他の人の仕事である。すぐれたクリエーティブの作品を視るのも役に立つ。講演会やセミナーで話を聞くことも有効だ。でもいちばんいいのはそのすぐれたクリエーターの日常をのぞき見することじゃないかと思う。
僕がまだ駆け出しだったころ、岡康道は憧れのCMプランナーだった。
営業としてキャリアをスタートし、その後クリエーティブへ転局。試行錯誤の末、ビッグキャンペーンを数多く手がけ、成功させた。ところが彼がいったいどんなコピーを書いたのか、どんな企画コンテを描いたのか。いわゆる広告クリエーターの手作業として彼が残してきたものはさほど多くないはずだ。それでいてその仕事の中心にたえずいた。岡康道なしでは成立しえなかったの仕事の真ん中に彼は立っていた。
この本を読むとわかるのだが、岡康道は天才でもなく、勤勉な努力家ということでもけっしてない。ごく普通の人間だ。当たり前に寝起きし、当たり前にスーツを着て会社に行く。もし彼に人より際立ってすぐれているところがあるとすれば、瞬時に物語をつくる想像力と人の能力や才能を見抜く眼力だろう。その力を力むことなく発揮するために岡康道はありふれた日常生活を楽しんでいる。
普通のなかに偉大さがあるのだ。

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14 mai 2013

川本三郎『いまむかし東京町歩き』

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一昨年だったか、毎日新聞夕刊土曜日に連載されていた「いまむかし東京町歩き」が単行本になった。
ひととおり読んではいるものの、本になったらなったでもういちど読んでみたいと思う。この手の本に関してはそうとういやしい読書家なのかもしれない。もちろん夕刊連載程度の分量が一単位になっているので読みやすい。むしろ単行本用に尾ひれをつけてもらいたいくらいだ。読み終わってみると物足りなく思ったりもする。
昔の東京を歩くというとだいたいが隅田川あたりから東側だったり、あるいはおおよそ今の山手線内にあたる東京十五区だったりするのだが、川本三郎は特にわけへだてなく、東京を歩く。あるいは下町エリアは歩き飽きたのかもしれない。大森の森ヶ崎や江戸川の妙見島あたりを歩くなんて相当マニアックな歩き人ではなかろうか(東京近郊を歩いた『我もまた渚を枕』もおもしろかった!)。
それから毎度驚かされるのは町歩きデータベースと映画データベース、書籍データベースのリンクである。たしかに昔日の東京をふりかえるのに映画も小説も貴重な資料だ。たとえば銀座は四方を川や掘割に囲まれた土地で橋はところどころにその跡をとどめているが、水路はまったくなくなっている。三十軒堀川や築地川などの風景を知る手だては今となっては映画だけかもしれない。川ばかりではない。古い建物もしかりである。板橋のガスタンクも千住のお化け煙突ももはや映画の一背景になってしまった。今こうしているあいだにも昔の町並みは刻々と消え去ろうとしている。
失われていくものはやはり残念なものである。それでいて映画や小説などでその姿が残されることは喜ばしいことでもある。ましてそれらが名作と呼ばれ、後世に受け継がれていくものであればなおさらだ。失われるものが一方的に惜しいものだとも思えなくなってくるから不思議だ。
先日、小津安二郎監督の「東京暮色」を観た。周囲の景色はずいぶん変わったけれども、雑司が谷のあの坂道は健在だった。

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13 mai 2013

村上春樹『若い読者のための短編案内』

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野球を観る。南房総に行って、父の実家の掃除をする。
今年のゴールデンウィークの目標はこのふたつだった。
野球は東京都春季大会の準決勝、帝京対日大鶴ヶ丘、二松学舎対日大三を観戦した。帝京対日鶴は土壇場で帝京が追いつき延長戦。最後は豪快なホームランで帝京が競り勝った。日大三は猛打で圧倒。コールド勝ちをおさめ、この両校が来週開幕する関東大会の切符を手にした。うまいこと勝ち進めば、準決勝で帝京対桐光学園なんてカードが実現するかもしれない。
決勝は観に行かなかったが、やはり延長となって帝京が接戦を制した。夏の東東京大会は帝京が第1シード、二松学舎が第2シード。以下関東一、安田学園など16強のチーム7校がシードがされる。西は日大三が第1、日鶴が第2、以下東海大菅生、創価、早実など9校。
村上春樹というとあまり日本の小説について言及するイメージはないのだが(本人も冒頭そう述べているとおり)、いわゆる「第三の新人」を中心に佳作をチョイスしている。太宰治や三島由紀夫は「サイズの合わない靴に足を突っ込んでいるような」気持ちになるんだそうだ。おもしろい。
40代になって日本文学を系統的に読むようになったと言う。その契機は外国で暮らすようになったこととも言っている。だからおそらく本書で指南している短編小説の読み方は大人の読み方なのだろうと思う。
さて連休後半は南房総安房白浜を訪れた。
東京駅から高速バスで行く予定が朝中央線の事故で乗りそびれ、計4回、各駅停車と路線バスを乗り継いでようやくたどり着いた。思いがけない列車の旅となった。ひと駅ごとに風の匂いが南房総に近づいていくのを感じることができた(いつもお盆時期に行くのだが、気候のいい時期に行って簡単に掃除をしておけば、少しは楽できるんじゃないかと思ったのだ)。
帰り途、林芙美子が訪ねた時計屋をさがしてみた。見つからなかった。こんど夏に来たときは久しぶりに野島崎の灯台に行ってみたいと思った。

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